園だよりから【11月】充実したひとときを求めて
充実したひとときを求めて
-秋の夜長に、「時間のあり方」を考える-
園長 橋 本 光 生
道々でシュウメイギクやタマスダレ、ノースポールなどの白い花を目にすると、
いよいよ秋が深まってきたのを感じます。かつて中国では今頃の季節を「白秋」と呼び、
この「白」の中に「季節の余白」や「人生のゆとり」などの意味を込めていたそうです。
温暖化が顕著な昨今では、こうした自然の移ろいにふと覚える小さな発見やその時に味わう
たおやかなひとときが、本当に貴重なのだと思えてきます。
ところで、「人類の偉大な発見や発明は何か?」と問われたら、何を思い浮かべるでしょうか。
「火の利用」や「ゼロの発見(発明)」? それとも人々の暮らしを日照の長さや生体リズムに
沿った生活から秩序ある生活へと一変させた「時計の発明」でしようか。その「時計」の歴史を
ひも解くと、時計は「今、何時?」とか「時間がどれだけ過ぎたか?」を知るためのものでなく、
「始める時」や「終わる時」を知らせるために必要だったようです。ちょうど保育でも、
例えば食事の前後に「いただきます」「ごちそうさま」のあいさつをして食事の時間であることを明瞭にし、
これにより子供たちは食事に集中し、食べる喜びや楽しさを身につけていくように、です。
逆に、何となく始めたものはいつ知らず終わり、今は何の時間だったのか。その中でどんな学びが
あったのか、定かでありません。そこで改めて分かることは、これも食事を例にして自戒を込めて
申し上げると、家庭での食事ではTVを見たりスマホをいじったりせず、「今は食事の時間」と
時間のけじめをつけて食事をとることです。その結果、この時間がいっそう家族団らんの豊かな
時間へと変わるに違いありません。
ちなみに、『時間のゆとり』についても考えると、時間のゆとりは心のゆとりにもなりますから、
例えば「1時間で仕上がると見込んで始めたことが45分で終えて生まれた15分間は、
まさにゆとりの時間であると共に、ほっとした安堵の時間が次なる活力へと変わる時間でもあります。
まだまだコロナ禍に気をもむ毎日、時には秋の夜長に「白」を探した古の人の感性に思いを馳せながら、
充実した時間とはどんな時間なのかを静かに考えたい、そんな晩秋のひとときです。