園だよりから【3月】「期待(きたい)」から「喜待(きたい)」へ Part3
「期待(きたい)」から「喜待(きたい)」へ Part3
-美しい根っこの上に美しい花を咲かせる子供たち-
園長 橋 本 光 生
三月は、「弥生」の名のごとく草木が生い茂る中を、「卯の花」の咲く四月に至る月です。
それは、三月までの成長を土台にして、新たなステージに向かう子供たちと同じです。
さて、スーパーコンピューターの“富岳”がどんなに高性能でも、医学が発達し医療的に
確証があっても、昨年来のコロナ禍で試されていたのは、人としてのあり方や力量であり、
矜持でした。そんな中にあって本園でも、年度当初の休園に始まり、開園以来初の納涼会の中止、
コロナ対策のもとでの数々の不自由など、例年とはまるで違う一年でした。それでも子供たちは、
例えば着けているマスクを竹のように巻いて楽しんだり、もちろん禁じていることですが
ローラー滑り台を下から登ってスリルを楽しんだりもして、遊ぶのが大好きな、
普段とそれほど変わらない園生活を送っていました。そして「おひな祭り会」の練習でも、
練習を重ねるにつれて子供同士で指示を出し合ったり、演じている子に合わせて他の子も
一緒に踊ったりし、クラスの一体感を日ごとに高めて行きました。今では、どの子もすっかり
一つ上の学年の子の表情を見せています。
いよいよ四月には、ひとつ月を越えるだけで年長の子は小学生になり、年少・年中の子は
上の学年へと進みます。その子供たちの一人一人を思い描くと、あいだみつをさんの詩
『美しい花を見た 美しい花は美しい枝についている 美しい枝は 美しい幹についている
美しい幹は美しい根っこがささえているにちがいない』のように、美しい根っこの上に
美しい花を咲かせている姿が浮かんできます。それは、いたずらに花だけをたくさんつけた
華やかな姿ではなく、着実に培ってきた根っこに支えられた、ちょうど先月の園だよりでも
述べた「冬の桜」のように、しっかりと大地に足を着け、数々の風雪にも耐えながら
それでもやがて、自分の花をつける凛凛しい姿です。
『三つ子の魂百まで』の諺に待つまでもなく、人格形成の基礎を養っている子供たちは、
仲間と一緒に過ごしたこの一年の成長が礎となり、さらなる飛躍を果たしていくに違いありません。
今日まで共に手を携え、ご支援をいただいた保護者の皆様に心よりお礼を申し上げます。
そして、一人一人の子供たちが咲かせる「美しい花」を、喜んで待ちたいと思います