園だよりから【7月】梅雨時雑感3 ー 困難な時こそ、凛凛しくありたい ー
梅 雨 時 雑 感 3
― 困難な時こそ、凛凛しくありたい -
園長 橋 本 光 生
梅雨入りと同時に雨の日が続いたので、明けるのは早いと期待していたのに、
まだまだ梅雨の真最中のようです。
もうしばらくは、うっとうしい日が続きそうですが、梅雨の晴れ間に遊ぶ子供たちは
コロナ禍を気にすることなく実にのびやかで、はつらつとしています。
さて、分散登園や時差登園も検討しつつ自由(自主)登園とし、
しかも午前保育の期間を延長した六月の本園でした。
新型コロナウィルスへの心配は未だ続くものの、多くの子が登園し、
保護者の方や子供たちにとって幼稚園がいかに大きな存在であるかを改めて知らされました。
しかし、巷間ささやかれる第2波・第3波が来たらどうするか。
また、こんな中で大災害に見舞われたら……など、気がかりは絶えません。
そんなことを考えると、3・11の東日本大震災の時のことが、どうしても思い出されます。
あの時も、何もかもが初めてのことで、それでいて悲嘆に暮れてばかりもいられず、
自分にできることを誰もが精いっぱいやっていたのを覚えています。
そんな時、くじけそうな心に一条の光を差したのが、
その頃のTVで盛んに流れていた宮澤章二氏の詩『行為の意味』の抜粋で
「心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える」
「思いは見えないけれど、思いやりは見える。その気持ちを形に」
というナレーションでした(あるお笑い芸人が「心は見えないけれど、下心は見える」
「思いは見えないけれど、思い上がりは見える」と笑いに変えていたこちらも、
なぜか記憶に残っています)。
そして今、『行為の意味』の全文を読むと、終わりの章が、その当時よりもさらに胸に迫ってきます。
それは、
あたたかい心が あたたかい行為になり やさしい思いが やさしい行為になるとき 「心」も「思い」も、初めて美しく生きる それは 人が人として生きることだ |
です。
「心」や「思い」を形(行動)に表すことは決して容易ではありません。
だからこそなおのこと、自分を見失わず、きちんと毎日を送りたい。
困難には、背筋をピンと伸ばして凛と向かいたい。
そして、「人として美しく生きよう」という気持ちになります。
六月、七月を三段跳びになぞらえると、6月がホップ、7月がステップで、夏休みがジャンプの時と言えます。
その頃もまだ、コロナ禍への心配に気をもむ毎日かも知れません。
でも、楽しいことがいっぱいの夏休みに、最高のジャンプができることを願っています。