園だよりから【2月】今になって知る “日常” の大切さ

      今になって知る“日常”の大切さ

        ―「ケ(褻)とハレ(晴れ)」の間で―

                            園長 橋 本 光 生

冷たい風に吹かれて舞う落ち葉の音が、非常事態宣言下ではますます静けさを際立たせて

いるように思います。その冷たい風に耐えながら蕭然と立つ「冬の桜」を、私もその一人ですが、

春に爛漫と咲き誇る桜よりずっと好きという声は、意外に多く聞きます。そして、以前にも

記したことですが、染料の一つである桜色は、「桜の花びら」からではなく「桜の枝」を

煮出して取るのだと知ると、幹と枝だけになった冬の桜は、寒さの中でも変わることなく

じっくりと桜色を熟成させていて、その日その日の成長を着実に重ねながら、その成果を

発揮し始めるちょうど今頃の時期の子供たちと重なり、一段と冬の桜が好きになります。

ところで、副題の「ケ(褻)」については、近頃では全くと言っていいほど耳にしなくなりました。

「ケ(褻)」とは「日常・普段」を表し、国語辞典には「普段のときも表だったときも・いつも」

の意を表すのに、「ケ(褻)にもハレ(晴れ)にも」の成句が載っています。

ちなみに、幼稚園で過ごす子供の時間は、日常のことなので「ケの時間」だと言えますが、

仲間同士で力を発揮したり、伸ばしたりする時間であることを考えると「特別な時間」にも思えますし、

ましてやコロナ下では貴重な時間であるとも言えるので、「ハレの時間」と呼んでもよいかもしれません。

さらには、これまでの当たり前が当たり前でなくなると、かつての日常は失くしてはいけない

日常だったのだと、今になって知るばかりです。

折しも大人がブルッと身震いしそうな日でも、半袖・半ズボンでスポーツをしている子がいます。

その子たちは風邪など引きません。そもそも、寒さだけが原因で風邪は引かないとは

昔から言われていることで、いかに普段から薄着でいたか。その積み重ねの成果が今、

ここに現れているのです。その日常・普段を軽んじることなく、その先に「ハレの時間」が

あることをひしひしと感じながら、日常の一つ一つを大切にしたいと思う、この頃です。