園だよりから【11月】幼稚園時代の確かな蓄積が、その後の基盤となる

幼稚園時代の確かな蓄積が、その後の基盤となる

      ―『“実りの秋”、成長を実感できる二学期』も半ばになる中で―

                                                                                      園長 橋 本 光 生

電車で通勤していると、時おりドアの上にある広告で小学生に向けた進学教室の問題が、目に止まります。

初めて見るからというわけでもないのですが、片道40分の通勤時間内だけで正解に至ることは、

めったにありません(「数学」は、中学校から苦手になったけど、小学校までは「算数」が得意だったと自負する私なのですが)。

そんなときは「問題が良くないのだ。小学生が普通に勉強して解ける問題でないといけないのに」と、悔し紛れの言い訳をすることにしています。

ちなみに、手許にある『大人のほうが てこずる算数(*NHKの夕方のニュースでも紹介された書籍です)』の前書きに、

「日本には江戸時代に数学(和算)を楽しむ伝統がありました。

そろばんがあるおかげで、世界に冠たる〔計算得意民族〕でした。

そのため、江戸から明治の洋算への移行もスムーズに行きました。

江戸時代の蓄積があったおかげと言うべきでしょう。

江戸時代の蓄積というのは、身体知として数学をとらえるということです。

…(中略)…電子化が進むと、まったく身体知が失われていきます。

簡単に言うとカラダ感覚がなくなってくるのです」とあります。

長々と引用しましたが、「良い問題」とは、「身体知を発揮できる問題」ということになります。

「身体知」については賛否が分かれるようですが、「江戸時代の蓄積」という表現は、なかなか説得力のある言い方です。

確かに基盤になるものがしっかりしていたから、明治の人たちも急激な変化に動揺することなく対峙でき、自分のものにしたのでしょう。

子供たちに置き換えると、毎日さまざまな活動や遊びを通して身体的・精神的・社会的発達の基盤を蓄積しているおかげで、

自制心や耐性、規範意識などが養われ、時にトラブルや困難なことに出会っても、自分たちなりに解決する知恵を生み出し、

行動しているのだと言えます。

「“実りの秋”、成長を実感できる二学期に」と題した9月の園だよりから、早二カ月。

子供たちが遊びや生活の中で、ますます「思いやり」や「自信」「相手の気持ちの受容」「好奇心、探究心」などを蓄積し、

どの子も実りの秋にふさわしい、じっくりと伸びていく姿に、いっそう意を用いたいと思う、二学期も半ばになった今日この頃です。