園だよりから【12月】会話もキャッチボールのように

会話もキャッチボールのように

                       園長 橋 本 光 生

師走の足音が近づく中を、今朝も男女一人ずつの当番の子が事務室に来て、

「おはようございます。〇〇ぐみです」のあいさつから始めては、

自分の名前と休んでいる子の数を言い、「よろしくお願いします」

とお辞儀をして帰って行きます。

その様は、当番の子にとって晴れ舞台であることは言うまでもなく、

二人の子のどちらが先に言うかを互いに気遣いながら話したり、

一緒に声をそろえて話したりする、まさに子供同士で育ち合っていることが見て取れる、

一日の始まりにふさわしい朝のひと時です。

さらには年少よりも年中の子が、年中よりも年長の子がと言うように、

学年が進むごとに態度も言葉づかいもきちんとしていて、

言葉への感覚や表現力の高まりもしっかりとうかがえる、嬉しいひと時です。

さて、ずいぶん前の新聞の切り抜きながら、元プロ野球投手の村田兆治氏が、

速い球を投げる子が、よい選手とはかぎらない。

いくら速くても、相手が受けられなくては意味がない。

よい選手は、自分の投げた球を相手が受け止められるかどうか、

よくわかっている。言葉も一緒

と書いていました。

ちなみに村田氏と言えば、少しでも速い球を投げるために勢いをつけようと足を高々と上げることから、

その投げ方をマサカリ投法と呼び、剛速球投手で鳴らしていました。

引退して還暦を過ぎても、なお時速140Kmのボールを投げることが、話題に上っていたほどです。

その村田氏は、速い球を投げるために、どれだけ毎日キャッチボールを繰り返したことでしょう。

そして、ボールを受ける相手がもちろんいたから、晩年も速球投手として活躍できたのです。

そこから、キャッチボールも会話も相手があってこそのことと実感し、「言葉も一緒」と言ったに違いありません。

片や、わが子への虐待の報道に接するたび、会話はきっと親からの一方通行だったのだろうと、胸が痛みます。

言葉を交わすとは、親子でも大人の間でも、キャッチボールのように相手に受け取ってもらえることを

考えながら言葉にするもので、暴投や投げっ放しなど、決してあってはならないのです。

来たる12月7日には、もちつきに合わせて子供たちの絵画を展示します。

大人には絶対にまねできない、子供ならではの絵を鑑賞していただき、親子の会話を通して、

作る喜び、見る楽しさを味わってほしいと願っています。

そして、ボールのようにポンポンと弾む会話と一緒に、わが子の成長を楽しんでもらいたいと思います。